ChatGPTに代表される生成AIが、私たちとテクノロジーの関係を大きく変えつつある今、UXの原則を見つめ直すべき時が来ています。AIにおけるユーザー体験は、果たしてこれまでの延長線上にあるのか。それとも、まったく新しい設計思想が求められているのでしょうか。
本記事で紹介する『AI and UX』は、AI開発におけるユーザー中心設計の重要性を説いた一冊です。著者のLew氏とSchumacher氏は、Uismと同じReSight Globalグループの設立メンバーであり、私たちにとって信頼できるパートナーでもあります。つまりこの本は、私たち自身が日々ともに考え、実践しているUXの視点を体系的に整理したものだと言えます。
本書の内容を紹介しながら、生成AI時代におけるUXの役割と可能性について掘り下げていきます。
AI開発におけるUXの重要性
AIの冬を招いたUXの不在
AIはその黎明期から、少なくとも理論上は無限の可能性を秘めた存在として期待されてきました。しかし実際には、時間や予算、人的リソースといった制約により、その期待が空回りしてきた時代も少なくありません。特に、開発段階でエンドユーザーの視点が欠けていたことは、大きな落とし穴でした。
著書『AI and UX』(2020年)では、こうした期待と失望の波が「AIの冬」として繰り返されてきた背景を振り返り、その原因のひとつとして「UXの不在」を強く指摘しています。つまり、ユーザーに価値が届かない限り、どれほど先進的な技術でも持続的な発展は難しい、この考え方は、今なお通用する原則です。
もちろん、今日の私たちは「AIの冬」ではなく、まさにAIの春とも言える状況にいます。ChatGPTをはじめとする生成AIは、もはや一部の技術者だけでなく、誰もが日常的に触れる存在となりました。しかし、だからこそユーザー体験の重要性はますます高まっているのではないでしょうか?
本書で示されたUX原則が、現在のAI開発、とくに日本市場においてどのような意味を持つのか、その示唆についてもあわせて考察していきます。
AIとUXの絡み合う運命
今日我々が知る「人工知能」の起源は、アラン・チューリングによる計算理論にあります。これは、コンピューターの記憶装置と処理装置の理論的基盤となるものです。この「電脳」は、絶えず複雑な課題を絶えず高速に処理できることから、無生物に「知能」を認める根拠となりました。AIの定義は様々ありますが、ルー氏とシューマッハー氏はAIを「知識を適応させたり、経験から学習したりすることで知的とみなされるような振る舞いを示す技術」と定義しています。
コンピューターやAIの開発にUXが関係するのは新しいことではありません。実際、心理学者たちはAI開発の黎明期からその発展に深く関わってきました。「ヒューマン・コンピューター・インタラクション(HCI)」という分野は、コンピューター・サイエンスとデザイン、そして行動科学の交差点に位置づけられています。コンピューター、ひいてはAIは多様な機能や能力を持つため、人間とのインターフェースの関係性は、情報提供とフィードバックの方法が非常に複雑になります。
AIのUX設計に必要な3原則
彼らは、AIのためのUX設計のフレームワークとして以下の3つの原則を提示しています。このフレームワークはユーザー中心設計に基づいており、「技術」ではなく「ユーザー」を中心に据えたアプローチです。

原則1: 文脈(Context)
このフレームワークにおける「コンテキスト」とは、AIが出力する目的、意味、期待を指します。最初の問いが「AIはXを実行できるか?」であるならば、コンテキストはそれに続く「なぜAIでXを行うのか?」という問いの前提となるものです。 コンテキストは主に、AIのデータ入力や学習フェーズに関係し、またその出力の評価にも影響を与えます。
コンテキストを無視することの危険の一つは、AIの目的が明確にならず、その結果として正確な評価基準に基づいて評価できなくなる点です。そのAIは、人間による作業を置き換えることを目的としているのか、それとも既存の方法に対する補助的な役割なのか、あるいは不可欠なツールとしてその方法を強化するものなのか? さらに、その価値はユーザーに適切に伝えられているだろうか? 単に生成AIや音声アシスタントをどこにでも導入すれば「付加価値」が生まれるわけではありません。ユーザーが使わなければ、あるいはさらに悪いことに、むしろ避けるようであれば意味がないのです。同書では、Siriの失速とAlexaの成功の対比が紹介されています。
「Siriがベータ版としてリリースされた後、機能の制限によりユーザーの不満が高まり、Siriだけでなくバーチャル・アシスタント全体への信頼が損なわれた。しかし、AmazonのAlexaの登場により、再び音声アシスタントを試す機運が生まれた。」
Echoに搭載されたAlexaは、自らの利用文脈を理解していました。スマートフォンに搭載され、外出時のあらゆる状況に対応する必要はありませんでした。なぜなら、周囲の雑音や、スマートフォンに話しかけることへの抵抗感が、その利用を妨げていたからです。Alexaは家庭内というニッチな場を見出しました。キッチンでタイマーを設定したりレシピを提供したり、パーティーやロマンチックなディナーの雰囲気を整えたり、朝の出発時に予定を伝えるなどの用途で活躍しました。
このような「コンテキスト」にはさらに多くのバリエーションがあり、それらは他の原則とあわせて後述していきます。
原則2: 対話(Interaction)
AIにおける「インタラクション(対話)」とは、ユーザーが内容を確認し、応答できるような形での関与を意味します。これは「AIはどのようにXを実行するのか?」という問いへの答えであり、ユーザーがその機能を理解しているか、そしてその機能を拒否する権利を持っているかどうかに基づいています。再び音声アシスタントを例に挙げると、もしあなたが車内アシスタントに「昨晩の試合のことを親友のブランダンに電話して話したい」と頼んだのに、それが何の確認もなく元恋人のブレンダに電話をかけ始めたら、それは非常に不快な体験となるでしょう。
ユーザーと(AIのような)対象物とのインタラクションの接点は「アフォーダンス」と呼ばれます。アフォーダンスは、ユーザーにその対象の機能や使い方を直感的に理解させる手がかりです。たとえば、ドアに横長のバー型の取っ手がついていれば、「このドアは引くものだ」と自然に分かります。 しかし、機能の数がアフォーダンスを上回ってしまうと、ユーザーにその機能性が伝わらず、デザインとしては失敗です。日本のトイレに見られるような、アフォーダンスが不明瞭な事例については、私たちのブログでも紹介しています。
逆に、アフォーダンスが機能を上回っている場合、それは新しい機会の可能性を秘めています。有名な例に、元は外科用の消毒液だったリステリンが、最終的にはマウスウォッシュとして定着したという話があります。ユーザーが実際にどう製品を使っているかを観察し続けることで、新たな機能改善のヒントが得られたり、もともとの機能をより「ユーザーにとって利用しやすいもの」として改善することが可能になります。
インタラクションやアフォーダンスは、特定のグループに限定するのではなく、多様な層に対応する必要があります。これは、国内外のマーケティング戦略においても極めて重要です。AIが特定の文化的文脈だけで開発された場合、他のグループへの適用が難しくなります。分かりやすい例が言語です。AIが使用する英語はたいてい丁寧ですが、英語はカジュアルな表現と丁寧な表現との差が大きくありません。一方、日本語は敬語や丁寧語など、形式のレベルがはるかに厳密に定義されており、AIにはどのレベルで話しかけられても意図を正確に理解し、応答できることが期待されます。さらに、AIが別の文章構造や混在する言語、曖昧な文脈のヒントを理解するには、高度な学習が必要です。これは日本/日本語に限ったことではなく、グローバルに使われるAIであれば、その開発段階から「コンテキスト」と「インタラクション」の多様性を意識することが不可欠です。
原則3: 信頼(Trust)
AI-UXフレームワークにおける最後の原則は、「ユーザーはAIでXを行うべきか?」という究極の問いを投げかけています。Lew氏とSchumacher氏はこの原則を、「予期せぬ結果が生じることなく、意図した通りにタスクを実行すること」と定義しています。AIがアシスタントとして設計されているのであれば、それは信頼できるパーソナルアシスタントに求められる期待と同様の振る舞いをすべきです。つまり、仕事を正確にこなす能力(精度)と、個人情報を守る配慮(プライバシー)が求められます。
AIはまさに「食べたものでできている(You are what you eat)」、つまり、学習データの質がそのままアウトプットの質に直結する典型例です。 データに含まれるバイアスを考慮した、高品質で多様なデータを取り込んだAIは、質の高い判断や情報を出力することができます。逆もまた然りです。必要なのは必ずしも「より多くのデータ」ではありません(例えるなら、二日酔いにお酒を足しても治らないのと同じです)。もし対象のAIがブラックボックスのような存在であれば、少なくとも初期学習に使うデータは、できる限りクリーンかつ偏りのないものにすべきです。
プライバシーの管理責任は企業側にあります。ユーザーが、自分のスケジュールや位置情報、クレジットカード番号といった個人情報を企業に預けている場合、その情報を扱う組織は、法的にそのデータを保護する義務を負っています。信頼の構築は困難でありながら、崩れるのは一瞬です。しかし一方で、特に日本のユーザーは、いったん企業や製品に信頼を寄せれば、一定のプライバシーを犠牲にしてでも、付加価値のあるサービスを受け入れることもあります。

まとめ: UXがAI開発を導く理由
AIの開発と普及においてUXが不可欠である理由は明確です。それは、「AIはユーザーのために作られ、ユーザーにきちんと役立つものでなければならない」という暗黙の前提にあります。 ユーザーのニーズや利用シーン、懸念点をまず正しく理解することで、AIは初期段階からポジティブな方向に成長し、そのライフサイクル全体を通して有意義に進化することができるのです。
注目すべきは、Lew氏とSchumacher氏によるこのフレームワークは、ChatGPTなどの生成AIが登場する前(2020年)に提唱されたものであるということです。しかしそれは、このフレームワークが時代遅れであるということを意味しません。むしろ、生成AI以後の世界において、UXの役割はさらに広がっています。インタラクションはもはや画面やタップだけにとどまらず、プロンプトの設計、トーンの調整、リアルタイムでのユーザーへの適応といった新たな要素も含まれるようになりました。だからこそ、これらの原則を最新の視点で見直すことが、今まで以上に重要になっているのです。
私たちUismは、AIを含む様々な分野において、ユーザー視点の調査設計と実施を得意としています。本記事で繰り返し引用された書籍の著者2名とも、グローバルUXアライアンス「ReSight Global」を通じて密接に連携しています。「なぜAIでXを実行するのか?」「AIはどのようにXを実行するのか?」「ユーザーはAIでXを行うべきか?」といった問いを抱えているのであれば、ぜひ私たちにご相談ください。一緒にその答えを見つけていきましょう。
この記事を書いた人

ミラー・ロス Ross Miller
アメリカ生まれ育ちの九州男児
ニューヨーク州出身、福岡は第二の故郷。大学卒業後、福岡で5年間英語教師として勤務。前職は国際事業コンサルタント。大学院では、”whole-person business leader”を目指し、デジタルイノベーションから東洋哲学や禅まで、幅広い知識と感性を研鑽し修了した。現在はUXリサーチャーでありながら、作詞・作曲・著作活動を行うクリエイターの一面も持つ。使用言語は、英語と博多弁。