HFE(ヒューマンファクターズ・エンジニアリング)の歴史:命を守る設計から、信頼される体験へ 

HFEとは何か? 

「ヒューマンファクターズ・エンジニアリング(以下HFE)」という言葉を聞いたことがある人でも、その正確な意味や起源を説明できる人は少ないかもしれません。UX(ユーザー体験)やHCD(人間中心設計)と並べて語られることもありますが、これらはすべて「人間を中心に据えた設計」という思想を共有しています。しかしそのルーツをたどると、HFEは、UXや HCD よりもはるかに歴史のある概念であり、誕生の背景には命がかかっている状況での設計ミスが許されないという、非常に切実な必要性がありました。 

本記事では、HFEがどのように生まれ、どのように応用されてきたのか、その歴史をひもといてみたいと思います。UX や HCD との関係にも触れながら、「人と技術のより良い関係」を築くための原点に立ち返る旅です。 

「使えない」では済まされない:ヒューマンファクターズのはじまり 

HFEという考え方が大きく発展したのは、第二次世界大戦の時期でした。特に航空分野では、戦闘機の操作ミスや混乱による事故が多発しており、その原因の多くが「人間のミス」とされていました。しかし、よく見てみると問題は「人」ではなく「設計」そのものにありました。似た形のレバーが隣り合って配置されていたり、表示が直感的でなかったり、警告が視認しづらかったり、それは使いにくいが故に起きた事故だったのです。このような現場において、心理学者や認知科学者が設計に関与するようになります。彼らは注意、記憶、反応時間など人間の認知特性を踏まえ、誤操作が起きにくい機器の設計や、パイロット向けのトレーニング改善に貢献しました。 

この分野で先駆的な貢献をした一人が、アメリカ空軍に所属していた心理学者のポール・フィッツ(Paul Fitts)です。彼は、目標までの距離と大きさから動作時間を予測する「Fitts’ Law(フィッツの法則)」を提唱し、航空機のダッシュボードやコントロール設計に応用されました。こうした理論により、パイロットの操作性や安全性の向上が図られました。 

また戦地の医療現場でも、看護師が限られた時間と情報で多くの患者に対応する中、間違いにくく使いやすい医療機器やツールが求められるようになり、HFEの知見が導入されていきました。このように、HFEは「戦争」という極限状況において、人間が正しく、安全に、確実に操作することを目的として生まれたのです。 

商業分野への応用:体験価値を支える設計へ 

戦後、HFEの知見は軍事や医療にとどまらず、産業・民生品の世界にも広がっていきます。航空機の設計で得られた誤操作を防ぐためのインタフェース設計や視認性の高い表示の考え方は、電化製品、自動車、家庭機器などに応用され、使いやすさと安全性を両立するUI設計やマニュアルの整備に寄与しました。この時代はちょうど、戦時中に確立された大量生産体制を維持するために、民間市場での大量消費が求められるようになった時期でもあります。製品を買ってもらう、選ばれるために、設計はただの使えるものから、使いたくなるものへと進化していきました。 

余談になりますが、戦時中に確立された大量生産体制は、終戦後も維持されていくことになります。しかし、軍需品の需要が激減したことで、それまでに高められた生産力をどこに向けるかが新たな課題となりました。結果として求められたのが、いかに大量に作られたモノを、平時の社会で売るか、すなわち大量消費を喚起するための仕組みでした。この背景の中で、戦時中に磨かれたプロパガンダの技術(人の意識や行動を操作する技術)は、そのままマーケティングや広告へと転用されていきます。現代マーケティングの祖ともいわれるエドワード・バーネイズ(Edward Bernays)は、フロイトの甥であり、戦時中に政府の宣伝活動に携わった経験をもとに、戦後は欲望に訴える広告戦略を民間に広めていきました。 

こうした動きと、HFEの民間展開は、ある意味で同じ時代の要請によって発展したとも言えるかもしれません。 

UX・HCDの登場:ユーザーを中心に据えるデザインへ 

1970〜80年代には、認知エルゴノミクス(Cognitive Ergonomics)という新しい視点が登場し、人間の判断・記憶・注意・感情などの内面にも注目が集まるようになります。 この流れの中で、UXという概念が生まれ、使いやすいことに加えて心地よく使える、納得して使えることが重要視されるようになりました。 また、2000年には ISO 9241-210 によってHCDが標準化され、設計プロセスの中にユーザーの理解と関与を組み込むことが正式な要件として明文化されます。 

こうして、HFEは誤操作を防ぐための手段から、ユーザーと製品の関係性をどう築くかという設計思想へと広がっていきました。UXやHCDは、HFEと同じルーツを持ちながらも、より広範な体験設計の領域へと枝分かれしていった存在と言えるでしょう。 

HFEはUXに置き換わったのか?今も必要とされる専門性 

ここまでの流れを見ると、「HFEはUXやHCDに発展的に置き換わったのでは?」と感じるかもしれません。しかし実際には、HFEは現在も重要な役割を果たし続けています。 とくに医療機器や航空、自動車など、ミスがリスクに直結する領域では、HFEの視点が今も中心に据えられており、その重要性はむしろ増していると言えるでしょう。 

医療機器の分野では、1990年代から2000年代初頭にかけて、設計の不備による使用ミスを防ぐための監視体制が求められるようになりました。特に1999年に米国医学研究所(Institute of Medicine)から発表された報告書「To Err is Human」は衝撃的でした。この中で、年間44,000〜98,000人もの患者が医療ミスで命を落としているとされ、患者の安全性に対する社会的関心が一気に高まります。 

この動きを受けて、2000年には米国FDA(食品医薬品局)が初めてのHFEに関するガイダンス「Medical Device Use-Safety: Incorporating Human Factors Engineering into Risk Management」を発表しました。これにより、製品のリスクマネジメントにHFEを組み込むことの重要性と、その方法が正式に示されるようになります。 

また2000年代には、ニューロエルゴノミクス(Neuroergonomics)という新たな分野も登場しました。これは神経科学と人間工学を融合した学際的な領域で、脳の活動を通じて人の集中力や作業負荷、パフォーマンスを可視化・分析しようとするものです。ウェアラブル機器や操作インターフェースの設計、個人に最適化された作業環境の開発など、応用分野も広がりを見せています。 

このように、HFEは単なる誤操作防止のための手法にとどまらず、人が複雑なシステムとどう向き合い、どう適応していくかを支える学問として、今も発展を続けているのです。 

ヒューマンファクターズのこれから:AIとの共存時代へ 

これから私たちは、人と技術の関係がさらに複雑になる時代に突入します。AI、自動運転、医療におけるアルゴリズム支援など、操作するだけでなく、任せる、介入の判断をする、といった関係性が求められるようになってきています。その中でHFEは、ただ使いやすいだけではなく、人が安心して技術と共存できる設計を実現するために、さらなる進化を遂げることが求められています。信頼、納得、理解、共存、これからの設計において、HFEは、人の判断や感情までも包み込む包括的な考え方として、ますます重要になっていくでしょう。 

Uismでは、医療機器分野を中心に、HFEの視点を取り入れた調査や設計支援を行っています。日本市場に根ざしつつ、グローバルな視点での対応も可能です。自社製品にHFEをどう取り入れるべきか迷っている、リスクを考慮した設計のアプローチが知りたいなど、どんなことでも構いません。お気軽にご相談ください。